ヤマザキ ランチパック 狭山茶入りクリーム&つぶあん
ランチパックを作る際に生じるパンの耳を焼いたラスクです
フードロス削減に貢献

ヤマザキ ランチパック 狭山茶入りクリーム&ホイップクリーム - 今月のパン

製品詳細情報・購入価格等
製品名:ランチパック 狭山茶入りクリーム&つぶあん
製造者:山崎製パン株式会社
製造所:埼玉第二東村山工場(東京都東村山市)
内容量★ 2個入 99g (1個 50g 49g)
商品コード★ 4903110708537(JAN)
発売月★ 2025年 5月
発売地域★関東
購入価格★160円(税込)

原材料名
小麦粉(国内製造) 緑茶フラワーペースト つぶあん 砂糖混合異性化液糖 マーガリン パン酵母 食塩 脱脂粉乳 乳等を主要原料とする食品 / 加工デンプン 乳化剤 酢酸Na 香料 保存料(ソルビン酸K) 酸味料 着色料(カロテノイド クチナシ) イーストフード 増粘多糖類 V.C
一部に 乳成分 卵 小麦 大豆 を含む
栄養成分表示 ( 1個当たり )
エネルギー 128kcal
たんぱく質 3.1g
脂質 2.9g
炭水化物 22.3g
食塩相当量 0.3g


狭山茶の歴史
狭山茶の起源「河越茶・慈光茶
茶は、1200年くらい前に遣唐使として唐(当時の中国)へ渡った僧が日本へ伝えました。この時代の茶は、沸騰した湯に茶を入れて煮出す「煎じ茶」で、寺院や宮廷の儀式でお供えなどに用いられました。
その後、800年くらい前、宋(当時の中国)に渡った僧が、茶の粉末に湯を注す「抹茶」の飲み方を日本へ伝えました。
このころから、茶は寺院での儀式や修行で用いるほか、武士たちも飲むようになり、日本各地に産地が広まります。
埼玉県内でも、有力寺院で茶の生産がはじまり、南北朝~室町時代の史料には、「河越茶」(川越市の中院が拠点)と「慈光茶」(ときがわ町の慈光寺が拠点)の名が武蔵国の銘茶として登場します。
しかし、その後の戦乱によって有力寺院が衰退すると、これらの茶産地も荒廃してしまいました。
「狭山茶」の誕生と発展
280年くらい前の江戸時代中ごろ、宇治湯屋谷(京都府宇治田原町)の永谷宗円(そうえん)は、蒸気で茶葉を蒸してから揉んで乾かす「蒸し製煎茶」の製法を発明し、この煎茶が1750年代頃から江戸で多く飲まれるようになりました。
江戸時代後期の1800年代初め、狭山丘陵の北麓に住む吉川温恭(よしずみ)(入間市宮寺)と村野盛政(東京都瑞穂町)は、江戸で蒸し製煎茶が高値で取引されていることを知り、本格的な蒸し製煎茶の製造技術を導入します。
二人は、狭山丘陵北麓の村々に製茶技術を広めて量産体制を整え、文政2年(1819年)、山本山をはじめとする江戸の茶問屋と、本格的な取引を開始します。
茶の販売が軌道に乗った天保3年(1832年)、二人が茶作りを始めた狭山丘陵の麓にある出雲祝(いずもいわい)神社(入間市宮寺)に、茶作り復興の記念碑「重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)」が建てられました。
いにしえに武蔵国の銘茶といわれた「河越茶」が衰退した後、数百年間にわたって廃れていた武蔵国の茶作りを、ここ狭山丘陵の麓で復興したことを、高らかに謳った石碑です。「狭山茶」の名称は、このとき誕生しました。
その後、幕末・明治期に茶がアメリカに輸出されるようになると、狭山丘陵を取り囲む周辺の武蔵野台地一帯で、茶が広く栽培されるようになります。
明治8年(1875)、埼玉県域の製茶業者によって輸出会社「狭山会社」が設立されると、それまで狭山茶(狭山丘陵北麓)・根通り茶(加治丘陵南麓)・八王子茶(横浜港から輸出する茶の集散地)など、さまざまな名称で呼ばれていた茶名を、茶作り復興の地での名称である「狭山茶」に統一しました。
現在、「狭山茶」の名称は、埼玉県および隣接する東京都で栽培される茶の総称となっています。
8 重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)及び茶場後碑(ちゃじょうこうひ)/入間市|香り豊かな緑の文化都市

【狭山茶のはなし - 埼玉県⠀出典】









